滋賀県が海アリ県だったころ
2008/12/03 15:09:29
道府県の数が、現在と同様の47に定まったのは、明治21年のことでした(東京府が東京都になったのは昭和18年)。
わたくしの手元に、一枚の地図があります。
それは、明治9年の府県配置図。これを見ると、現在の区画とは、いくつも違うところがあることがわかります。
例えば、①北海道はまだ「開拓使」でした。
②沖縄はまだ「琉球藩」。
③石川県の範囲は富山県から福井県の半分までと、とても広大 で、④大阪府の南半分と奈良県が一緒に「堺県」。
⑤鳥取県と島根県も一緒で「島根県」。⑥香川県もなく、その範囲は愛媛県。
⑦宮崎県は鹿児島県の一部。そして、⑧福井県の西半分(旧若狭国)が滋賀県。
そう、滋賀県が「海アリ県」だったというのは、現在の福井県西部が滋賀県に属していたからなのです。
それは明治9年8月21日から明治14年2月6日までの、約4年半のことでした。(続く)
わたくしの手元に、一枚の地図があります。
それは、明治9年の府県配置図。これを見ると、現在の区画とは、いくつも違うところがあることがわかります。
例えば、①北海道はまだ「開拓使」でした。
②沖縄はまだ「琉球藩」。
③石川県の範囲は富山県から福井県の半分までと、とても広大 で、④大阪府の南半分と奈良県が一緒に「堺県」。
⑤鳥取県と島根県も一緒で「島根県」。⑥香川県もなく、その範囲は愛媛県。
⑦宮崎県は鹿児島県の一部。そして、⑧福井県の西半分(旧若狭国)が滋賀県。
そう、滋賀県が「海アリ県」だったというのは、現在の福井県西部が滋賀県に属していたからなのです。
それは明治9年8月21日から明治14年2月6日までの、約4年半のことでした。(続く)
